初めての言葉の冒険

10月の初めに発覚した食品偽装問題では、予想通り出るわ出るわの芋づる式に、有名ホテルにレストラン、百貨店までも名を連ねました。高級食材を謳い高額で料理を提供する高級店や老舗。偽装食材とはつゆ知らず「さすがにおいしいね」と満足した客は「裸の王様」だったのでしょうか。

当たり前のことですが嘘はいけません。でもちょっと考えます。人生長く生きていますが、私自身嘘をついたことが全くない聖人君子だったかといえばそうではありません。ずいぶん嘘をついてきたように思います。小学校の頃、家にピアノなんてないのに「家の奥にしまってある」と見栄を張り、学芸会でオルガンを弾くことになって大苦戦をしたこと。5年生でおねしょをして「風呂場でころんだ」と言い訳したこと。高校生の時、ありもしない教材費を親からだまし取ったこと等々。

「うそつきは泥棒の始まり」と言います。しかし数えきれないほどの嘘をついた私ですが泥棒になりませんでした。それより嘘をついた自分を今でも切なく思いだし、過去を消しゴムで消したいほど後悔しています。自分を守るためについた嘘が、実は 他人を傷つけていたことに気が付いた時、倍返しで自分の心が傷つく経験もしました。そんな自分を思い出したとき、私はだれにも優しくなります。謙虚にもなるのです。自分の弱さを知るからでしょうか。あるいは、「きっと他の人も自分と同じように後悔し苦しんでいるかもしれない。」と同情というか共感というか、不思議な人間愛が生まれるのでしょうか。

嘘をついた記憶を通して他人に寛容になった私はふと考えました。「嘘も方便」とはいかに? これによると嘘も時には有益な手段ということです。そう言えば、嘘をついた後に本当のことを言って驚かせる。こんな嘘はその場を盛り上げる効果や、みんなの気持ちを和ませる効果がありますよね。幼い子どもの嘘に、大人は騙されたふりをする。子どもはそれを見て「嘘だよ!」と言って、自分の仕掛けが成功したことに大喜びをします。また、相手を傷つけない、不安にさせないためにつく嘘もあります。失恋の真相、病気の告知等々です。
「嘘も方便」が許されるのは、だれも傷つかないからではないでしょうか。むしろその場を和ませたり相手を労わったりしているからでしょう。

くもん子ども研究所から出版されている「親子のふれあい歳時記」5月号のエッセイ「嘘が開く世界」に柳田国男が書いた弟のエピソードが載っています。
『まだ小学校に入る前の弟が、母の言いつけで油揚げを買いに行った。においも色もよいし、腹も減っていたので、弟は帰りがけについつい油揚げの端をかじってしまった。家に帰って「これはどうしたのだ」と問われたとき、「どこそこの角まで戻ると鼠が走ってきて食べた。」と答えた。母は「嘘はいけない。」ととがめるどころか大きな声で楽しそうに笑い、弟の「初めての言葉の冒険」を認めてやった。
嘘をつくにはそれ相当の知恵能力がいる。つじつまを合わせなければならないし、人と積極的にかかわるという外へ働きかける力もいる。だから、子どもが成長のある段階で嘘がつけるようになったということは、確かに「最初の知恵の冒険」なのだ。それをとがめて抑制するよりも、むしろみとめてやりその能力を伸ばす方が良い。ちなみに柳田の弟は泥棒にならず松岡映丘というすぐれた日本画家になった。―坪内稔典』
「初めての言葉の冒険」、なんて素敵な言葉でしょう。そんな言葉が言える大人になりたいものです。子育てに大事なことに「一人ひとりの子どもをまるごと受け入れる」そんな大人の寛容があげられると思います。これは逆に子どもたちに教えられます。子どもは実に親に寛容です。全面的な信頼と揺るがない愛に裏付けされているのでしょうか。
子どもに対して勘違いで怒ったり、人と比べて怒ったり、はたまた虫の居所が悪いなんていうやつあたりで怒ったり。幼い無邪気な寝顔に「ごめんね」と思わず頬ずりしたこともありませんか。それでも子どもは父を母を寛容に受け入れてくれます。

ところで最初の食品偽装に戻ります。「最初の知恵の冒険」や「嘘も方便」の嘘はなぜ歓迎されるのでしょう。そこには人との関係を円滑にする効果や思いやる心があるからです。ところが今回の食品偽装にはそれが微塵もありません。高級食材と信じて満足したり喜んだりした客を、傷つけたり陥れたりしたからです。そしてそれは詐欺であり犯罪なのです。

あまりにも次から次へと発覚する偽装の連鎖に「赤信号、皆で渡れば怖くない」なんてことにさせてはいけません。その罪は振り込め詐欺と同じです。人を欺き騙す手口は許せません。
今回の事件でも、保証する、弁済するという措置に対し、食べてもいない買ってもいないものを請求する者がでてくるかもしれないと危惧します。どちらもこれは人としての品性です。子どもたちは見ています。今こそ私たち大人が経済に振り回されない、品格高い振る舞いを子どもたちに見せなければなりません。

(北摂こども文化協会機関誌「ハックルベリー」2013年12月号より)
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